何から始める、まどかさん。

とりあえず、次の10年を前向きに始める事にした私の徒然。

冒険のスタート!その6

せんべろ…でサボったけど、綴っておきたいアメリカ。

昨日は、ブログを開けることなく1日を終えた。実は昨日、公共バスで、ゴザまで行ってきた。ゴザは嘉手納基地のお膝元、終戦を機に基地文化と共に発展した町と言っても過言ではないと思う。アメリカ基地は子供の頃、私の地元に近い立川・昭島・福生などあちこちにあって馴染みが深い。子供の頃クラスに片手くらいはハーフの子がいて、その容姿や体格を羨ましく思ったり、その子に誘われてベースにいるおじさんの家に遊びに行ったり、私にとっては楽しい思い出の対象だった。しかし今回この沖縄を少しだけ掘り下げて知ると、表面だけ関わって楽しんだわたしの アメリカ基地 の記憶とはかけ離れた、複雑な関わりが見えてきて、ひめゆりの塔もそうだが、このゴザの街の風景は、空しくも悲しいものに見えてきた。

ゴザに行ったのは、エイサー会館 があるからた。エイサーは数度沖縄を訪れる度に、ホテルのショーなどで見学してきたが、その歴史から知りたいと思い尋ねた。

エイサー会館内部・貸切の様だ

ゴザミュージックタウン

会館スタッフの女性はとても親切丁寧で、2時間近くいた私たちについて説明してくれた。エイサーの歴史やコンクールや現在のエイサー大会について。それを守る各会青年団の活躍など、今まで知らなかった戦後の歴史を乗り越えて、こうした行事文化や伝統を続けていくことの大切さと、大変さを知った。エンターテイメントとしてのエイサーも本当に素晴らしいが、文化伝承としてのエイサーも、一度見てみたいと思った。

悲しげなゴザの風景

異国情緒抜群の風景

誰もいないバー

最初に書いたが、ゴザは戦後基地と共に発展してきたので、地元の人向けの街の部分と、基地からやってくるアメリカ兵向けの街の二つの側面があった。それは立川・福生・横須賀なども同じで、キャバレー、スナック、バー、映画館などなど多くを持つ街に発展する。しかし時が経つと、いつかアメリカ兵と地元の人の暮らしのバランスが変わると、見えていた風景が一変し、さびれてもの悲しい風景となる。立川は早めに基地が返還されたので、あまり寂れた感じにはならなかったが、福生は一時期ゲート前は、空き店舗ばかりになった。横須賀は言わずと知れた現役基地の街で、うまくメディアにも乗り、アメリカ文化を感じられる街として多くの観光客を集めている。しかしゴザはどうだろう。大きなアーケード商店街と味のある裏通り、ゲート前通りを持っていながら、お世辞にも繁盛、集客しているとは言えない。すごく面白いコンテンツと歴史を持っているのに、街の作りもとても魅力的なのに、住人ではない私が言うのは怒られそうだが、本当にもったいない!タコスを初めて日本に持ち込んだ(?)チャーリータコスの周りの通りも、手を入れれば美しい別天地だろうに、シャッター街だ。日本中の企画やさん!プロデューサー、ディレクターの皆さん、決して地の利が良いところではないが、この街の匂いや風景はこのまま寂れさせちゃうのは惜しいですよ。地元バスと協力して何か面白い、昼間から楽しめる街作りを仕掛けてくださいませ。

チャーリータコスメニュー

あ〜頑張ったけど昨日の分を書いたところで、酔いも回ってきたので終了!また明日〜。