何から始める、まどかさん。

とりあえず、次の10年を前向きに始める事にした私の徒然。

終戦の日に思い出したこと

今日は終戦記念日ですね。

昭和36年生まれの私は、当然戦争の記憶はないのだけれど、終戦記念の報道を見るたび思い出すことがある。

 

ジブリの「火垂るの墓

ジブリ作品に火垂るの墓というアニメがある。数年前まではこの時期にテレビ放映していたけれど、最近はしない。戦中の悲惨な体験を温かくも悲しい、兄弟の情景で描いている作品だ。これは実話が元になっているということでなおさら悲しい。我が家の子供達がまだ幼稚園の頃、寝る前の本読みはお約束だった。ディズニー絵本とジブリの絵本はヘビロテで、火垂るの墓もその一つ。この時期には必ず読み聞かせをした。数年続いたある年、上の子か下の子かは覚えていないが、「まま〜、この本はやめてください…怖いからやめてくださ〜イ」と半泣きで頼まれたことがあった。本は大事にしたけれど、それ以来火垂るの墓は読まなかった。子にとっても母にとっても、辛いが重要な物語だった。

 

母の記憶

私の両親は昭和3年と6年生まれだった。父は赤坂一ツ木(?)の生まれだそうで、その頃の家があったら大金持ちだったろうにとよく笑い話にしていた。戦前は出版業、戦中は軍事工場を営む家だったらしく東京の空襲で色々転戦して歩き、最後は北海道の親戚を頼り移住、ニシン場を開きカンズメにしていたそうだ。父は学徒出陣で戦闘機乗りになる予定が、途中終戦となり、貧乏の中大学に進みサラリーマンとなった。日本の水も甘いも十分に体験した世代だ。母はといえば、小川町生まれで神楽坂でパーラーを営む家の育ちらしい。まず食べ物には困らなかったそうだ。戦前は神楽坂芸者のお姉さん達に可愛がられ、戦中も坂下から坂上に移動させられたものの、最後までパーラーをしていたそうで、世の中が配給切符で暮らしていた頃でも、朝はトーストと目玉焼きという暮らし、東京に爆弾が落ち始めた頃、新潟の小千谷疎開したと言っていた。母の記憶で確かじゃないが、疎開前に神楽坂の坂上から遠くを見ると、夜真っ暗な中赤々と光る地域があり、子ども心に綺麗だなぁと思ったそうだ。後にあれは爆撃されて燃え盛っていたんだとわかり、なんとも言えない悲しい気持ちになると同時に、自分の綺麗だと感じたその気持ちを思い出し、複雑で残酷な気持ちがしたもんだよと教えてもらった。母の戦争の記憶である。

 

毎年この日は来るけれど

終戦記念日は毎年来るが、この2年ウクライナの戦争のこともあり、夫婦で戦争や紛争が話題になることが多い気がする。戦争でも侵略でも戦闘員でも非戦闘員でも争いになって消えていくのは人の命だ。もちろん事故や災害、事件などで命を落とすこともあるが、少なくとも戦争紛争は人間の知恵をもってすれば本来防げるもののような気がする。価値観はみんな違う。それぞれの存在には意味があり、誰も傷つけ合いたくはないはずだ。私たちも毎日の暮らしな中で、戦争や紛争について考え続けるのは無理だとしても、終戦記念日の今日くらい、それぞれ声に出して家族で戦争について話し合ってみはと思ったりする。

 

徒然なるままに書いたので結論はなし。思い出すままに。